特集テーマを紐解きながら1年間練ってみるリアルカルチャーWEBマガジンです。2024年のテーマは「エン」。日常生活の中で感じる「エン」についての様々なエピソードや、その意味に迫るコラムをお届けしていきます。

ペット 考え方

はじめてペットが死んだ時のわたしは

丸井ロックが小学生低学年の頃、捨てられた子猫を姉が拾ってきました。幼き頃なので記憶は曖昧ですが、私の家ではペットは飼わないルールだったと思います。そもそも飼いたいとお願いした記憶がない&父親が動物が好きではなさそうなので、きっとダメだったのでしょう。そんな家ですが、姉妹勢ぞろいで父親にお願いし、どうにか飼うことが許されました。

そして月日が流れ、2021年5月下旬 丸井ロックは社会人になっており、約20年ほど生きた猫は他界。

結論からいうと、その時の私は、正直悲しくなく、生き物だからな~という気持ちにしかなれなかったのです。むしろ思ったよりさっぱりした気持ちにしかなれなかった自分に後ろめたさを感じる。絶対的な罪悪感。なんともやり場のない感情に襲われました。今回は何故そのように感じてしまったのか、答えはないですが自分なりに考えてみようと思います。

【何故悲しくならなかったのか】

1.最期を覚悟していた。

もう20年生きていたわけですから、最期はスーパーおじいちゃん(オス)です。正直、生きているのを見ている方が辛かったし、楽になれて良かったという気持ちが上回りました。何か事故で亡くなったわけではなく、寿命というのが一番死を受け入れやすく悲しくなりにくい理由なのかなと考えます。寿命で他界できるなんて最高に幸せなことじゃないですか?

2.上京してしまっていた&他界するところを見ていない

私は大学卒業後に上京していたので、時々帰省してはいましたが2年程時間があいてしまい、猫がいない生活に慣れていた。実際に他界した場面にいなかったので実感が沸いていない。

3.責任がなかった

猫は姉が拾い、お世話はほとんど母がしていました。一緒に生活はしていましたし、とても好きでしたが、圧倒的に責任がない。無責任とまでは言いませんが責任のない愛って感じです。

【絶対的な罪悪感はなぜ】

他にも理由はあると思いますが、上記3点を基盤に死を受け入れられてましたし大幅に悲しくなることは無かった。どちらかというと楽になれて良かったと思ったんです。我が家の猫は自由に幸せそうに見えてましたし。これだけ理由がはっきりしていれば罪悪感が沸く理由もないと思うのですが...

世の中にはペットロスあるいは、ペットロス症候群に当てはまる方々が沢山います。世論とか世間の声、母数の多さが関係してるかなとも考えたのですが、何よりも鮮明な罪悪感が…

仕事終わりの帰り道だったか仕事中だったか。猫が亡くなった直後、母親が号泣しながら電話を掛けてきてくれたんです。それに対して私はめんどくさいなって思っちゃったんですよね。(もちろん口にはしてません)母親の感情と私の感情にあまりにも大きな差がありすぎてどうしたらいいかわからず、悲しんでいる母親にもう少し寄り添って言葉を掛けてあげればよかったなとか、悲しんでる人の気持ちをくみ取れないとか、もう、共感できて一緒に泣けたらどれだけ楽なのかとか...考え始めて、猫がなくなった事実に寄り添えなかった後悔と罪悪感がすべての感情を超えました。

結果、私の罪悪感は、猫が死んで悲しめなかった泣けなかった事ではなく、悲しんでいる人に共感できず、寄り添えなかった事だったようです。だからといって今の私が同じ場面に直面した場合にうまく対応できる自信はありませんが…

このようなお話は、色々な意味で嫌な気持ちになってしまうので考えない・話さないようにしていました。最近は自分自身の感情にしっかりと向き合って考えるようになったので、少しセンシティブな内容になってしまいましたが、今回の記事にさせて頂きました。

みなさんはこの記事を読み、どこをくみ取って何を考えるのでしょうか。色々な意見があると思うので聞いてみたいですね。

怒られそうな発言ですが、この感情と境遇は自分の祖父が他界された時も同じでした。人間だろうと人間でなかろうと生き物という類であれば皆同じなのかと考えましたが、人は同じ命に個別に価値を付けていると思っているので(例えば、ペットのハムスターが死ぬと悲しみますが、野生のドブネズミが道で死んでいても平常心です。偉人や芸能人がなくなった時に市民の反応に差があるのもそうですね。)経験や記憶に価値観の違いがあるので当たり前のことですが、その考え方だと私にとってペットの猫と祖父は同じ価値だったということになりますね。

Writer:丸井ロック
2023/03/12